"自分にとっての自分自身という謎"
御目の前で、私は自分自身にとって謎となりました。それこそまさに私の病 「人々は外へ出かけて行き、山の高い嶺に、海の波浪に、河の悠長なる流れに、海流の循環に、星辰の運行に驚嘆しますが、しかし自分自身を見過ごし、驚嘆しません」(『告白録』第一〇巻第8章15)。
→自分という当たり前の現象
では、アウグスティヌスは、私が謎である、と何故思うのであろうか。この点に関しては、彼は、その著作の中で、特に自伝である『告白録』のなかで、その体験を、またその思いを、よく記している。たとえば、悪を悪と知りながら、その悪い行いをして楽しんでいる自分、繰り返しこれではダメだ、と思いながら、その悪い習慣から抜け出せない自分、愛したいと思いながら、愛せない自分、など、つまり、自分で意志しながら、その自分で意志していることが出来ない自分の状態。現実の自分を見つめていると、このような謎に満ちていることにアウグスティヌスは気づき、実際悩んだのであった。それで、自分自身に、人間に大きな関心を抱き、それについて実際的にも、理論的にも探究し、取り組み続けている。